日本の躍進に沸いた北京オリンピック。日本は金銀銅合わせて冬季大会史上最多となるメダルを獲得しました。熱戦を展開し、多くの感動を与えてくれました。ソチ五輪・平昌五輪を2連覇した羽生選手は、金メダル間違いないと言われていた一人でしたが、結果4位の成績でした。多くの選手が実力を発揮できなく涙をのみました。しかし羽生選手は、フィギュアスケートのエキシビションに気持ちを切り替え、白を基調とした優雅な衣装で、『春よ、来い』の曲に合わせて、熱演しました。
羽生選手の選曲には、こだわりがありました。演技後のインタビューに応じた羽生選手は「世の中にはたくさんつらいことがある。どうしても逃げられないつらさや、何も言えないで苦しんでいる人に、春が来たらいいなと思って滑りました」と明かしています。
この日、羽生選手は足首のケガをおして、最後まで滑り切りました。実は、かつて「どん底まで落ち切った」不調の時代に、自身を救ったのも『春よ、来い』の曲でした。
2020年12月の全日本選手権で、羽生選手は5年ぶり5度目の優勝を果たしましたが、競技終了後のインタビューで、とても葛藤が大きかったと心境を語りました。実は、コロナ禍によるコーチ不在で、トレーニングや振付を自分で考えるプレッシャー、4回転アクセルが成功するかどうかなどの多くの不安も抱えていたのです。羽生選手は、どん底まで落ちきった、自分がやっていることがとても無駄に思える時期がありました。一人だけ取り残されている、ただただ、暗闇の底に落ちていくような感覚になっていました。一人でやるのは、もう嫌だ、疲れてもうやめようと思ったのですが、羽生選手には、大変な経験をして、そこから立ち上がった経験があったからこそ、前を向くことができたのです。
羽生選手は、宮城県仙台市泉区出身のフィギュアスケート選手で、早稲田大学人間科学部を卒業しました。2014年ソチ五輪・2018年平昌五輪2大会連続オリンピック金メダリストで、2019-20シーズンの終了時までに世界記録を通算19回も更新しています。また、2018年個人としては最年少で国民栄誉賞を受賞し、2020年最優秀選手賞、2014年・2018年に紫綬褒章も受章しました。
そのような輝かしい結果を残してきた羽生選手ですが、現在に至るまでには壮絶な人生の試練がありました。2011年3月11日、日本大震災で被災。地震発生時は仙台市のアイスリンク仙台で、先輩スケーターと貸切状態で練習中であり、四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難しました。羽生選手や家族、コーチやリンクメイトは無事でしたが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごしました。3月12日にはベガルタ仙台のホーム開幕戦のハーフタイムに四大陸選手権銀メダルの報告会と花束贈呈が行われる予定でしたが、試合と共に全て中止となってしまいました。震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしているさなか「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日悩みましたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回春のセンバツ甲子園に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻します。かつて師事したコーチがいる旧・東神奈川スケートリンクで、震災から10日後に練習を再開しました。震災を経て、ファンからの手紙、羽生選手の現状を伝えるメディアなど、さまざまな支えにより生きていることを痛感し「目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。そのために精一杯、やれることは全部やっていこう。」と決心し、再びスケートに挑戦しました。
その後も様々な試練を乗り越え、北京五輪代表で出場。フィギュアスケート男子で羽生選手は4位に終わりました。母校、東北高校では、フィギュアスケート部員ら13人が応援し、メダルには届きませんでしたが「挑戦し続ける姿」が大きな感動をよびました。
高校2年時に担任だった我妻敏先生はフリーの演技を見つめるうち、向上心の高さを思い出したと話しました。「当時は、バンクーバー五輪銅メダルの高橋大輔さんを意識していて、その頃の自分より雲の上の存在としながらも、必ず超えると言い続けていました」と語っています。幾度となく拍手が起こる中で応援していた同校の生徒は「4回転半は失敗してしまったけど、羽生選手らしい演技でした」と涙ながらに語ってくれました。
皆さんもいかなる困難や一度や二度の失敗でくじけることなく前を向いて下さい。
いまだ新型コロナウィルスの感染拡大は収まらず、変異して世界中に蔓延しています。こうした中で、日本国内で亡くなる人の数が過去最多を更新している危機的な状況が続いています。INGの先生たちと一緒に、新型コロナウィルスの招いた試練を乗り越え、今こそ力をつけ夢の実現のため、未来の活躍をしていくため、たゆまぬ努力をしていきましょう。そして新学年に向けて、自己最高のスタートをINGから切りましょう。今年の受験も厳しい状況でしたが、今年のINGの受験は大勝利で飾りました。
今こそ、勇気と大きな希望を持って、大きく成長していきましょう。
令和4年 3月吉日
ING進学教室
代表 岡田 弘行