みなさん、こんにちは!
ING河辺駅前教室、K先生です。
10月の授業が開始しています。週の前半は最高気温も25度以上になるようですが、週の後半は天気もぐずついて、気温も一気に下がるようです。寒暖の差が激しいので、夜更かしは控えて、体調管理を心がけましょう。
さて、今日の標題にある「農林100号」、実は皆さんが良く知っている「コシヒカリ」の正式な登録番号です。この時期になると、スーパーや商店で日本全国の産地でとれた新米が店頭に並びますが、「コシヒカリ」と言えば、「魚沼産」や「岩船産」に代表されるように新潟県が有名です。しかし、コシヒカリが新潟県で生まれたのではないというのはご存じでしょうか。
1944年(昭和19年)に、新潟県農業試験場の高橋浩之氏により「農林22号」を母、「農林1号」を父とした交配が行われました。しかし、この雑種は第二次世界大戦下の状況悪化のため、栽培は見送られてしまいます。
1946年(昭和21年)、戦争終了後、育種事業が再開されます。1947年(昭和22年)には福井農事改良実験所(現:福井県農業試験場)に送られ、交配と育成がくり返しが行われます。その過程の中でコシヒカリのもととなる「越南17号」が育成されます。
1953年から「越南17号」について、20府県での適応性試験が行なわれましたが、結果は茎が弱く倒れやすい、穂首いもちに弱い、未熟粒(青米)が多い、収量も多くないなど、否定的な結果が多いものでした。しかし、熟した時の色や米質の良さが注目され、新潟県が奨励品種として各地で栽培を始めました。その中で、草丈が高く倒れやすい欠点を、あえて肥料を多く与えないなどの栽培方法で克服しながら、安定した収穫量得ることができました。やがてその米の美味しさから評判となり、全国でも育成されるようになります。
「米1粒には7人の神様がいる」と言われていますが、食卓に並ぶ美味しいお米には多くの人の苦労と努力があることがわかりますね。
このブログが皆さんの勉強の息抜きと、ほんのちょっとの知識を提供できれば幸いです。
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